Viola Dream

震災地のすみれ

 新潟県中越地震の被災地の一つである小千谷市に11月22日から26日まで5日間
滞在し、ボランティアとして復興作業に参加させていただいた。主に午前中はパソコ
ンの入力作業を、午後は避難所のトイレ掃除、浦柄地区の土砂災害現場での汚泥
除去作業、小学校構内の片付けなどに従事した。

 パソコンにボランティア従事者のデータを入力していて知ったのだが、日本全国か
ら実に多くの方が参加されていた。私が入力作業を行った中には、75歳を最年長に
親子3代で来られた方、12歳を最年少に家族5人で参加された方もおられた。祖父母
や両親による子供への教育、特に心の教育不足が目立つ昨今にあって、復興作業
への参加は何よりの教育なのかもしれない。

 地震による土砂崩れで水害に遭った浦柄地区へマイクロバスで行く途中、長岡市
の土砂崩落現場のすぐそばを通った。『あそこが2歳の男の子が奇跡的に救出され
たところですよ』と教えてもらった。信濃川に向かって巨岩や土砂が崩れ落ちたその
瞬間のまま、現場は手付かずの状態で残されていた。乗り合わせた人の多くは子供
さんがおられる風情であり、幼くして母親と死別する子供の辛さを十分理解されてい
る様子だった。そのためであろうか、皆、助かった男の子のことしか口にせず、亡くな
られた母親と女の子のことには触れなかった。そのことがより一層哀しみを強くさせ
た。

 地震で倒壊した家屋の片付けや土砂崩れによる水害で発生した汚泥の除去作業
は私の想像をはるかに越えていた。たった5日間、私が手伝ったとてどうなるもので
はないことを痛感させられた。近くに見える山にはもう雪が積もり始めていた。平野
部での降雪ももうまもなくである。それなのに除去しなければならない廃材や汚泥の
量はあまりに膨大だった。

 ボランティア作業の現場へ行く途中、震災に遭った街や村を見て気がついた、根の
生えた自然の草木のほとんどが真っ直ぐ立っているのに、地面に突き立てただけの
建物や電柱といった人工物の多くが傾き倒れていることに。目に見える部分がどん
なに立派で美しくとも基礎が弱ければ脆いこと、自分自身を支える基礎、すなわち根
をしっかり張ることの重要性を改めて感じた。

 木も草もすみれも、そして人間もそこに根をおろし住む者はどのような災害が起こ
ろうとそこを去るわけにいかない。自然災害に終わりは無い。新潟県でも遠くない将
来、また地震が起こる可能性は十分考えられる。例えそうであったとしても、木も草
もすみれも人も、幾度倒れてもまた立ち上がり強く生きる。それが生命の本質であり
自然の営みなのだろうか。

 避難生活を強いられている人たちと話す機会があった。その中である男性の言葉
が強く印象に残った。『避難所は至れり尽せりで本当にありがたい。でもこれからは
自分達の力で自分達の生活を取り戻す努力をしなければならない。いつまでも援助
に甘えていては真の復興は無い』
失ったものに対する悲しみや辛さを乗り越えて自分達の生活を取り戻すことは、言葉
で言うほど簡単ではないだろう。少しでも力になれればと切に思った。

 小千谷市ボランティアセンターが設置された『サンラックおぢや』の玄関前の花壇の
中にタチツボスミレを見つけた。山本山の一時ゴミ集積所のそばではスミレを見つけ
た。遅い雪解けが過ぎれば、彼女たちはこれまでの春と同じように可憐な花を咲か
せることだろう。雪が積もれば復興作業の一部は中断せざるを得ないが、すみれた
ちが花を咲かせる頃、私にお手伝いできることがあればまた来よう。数々の心に残
る記憶を胸に私は家族の待つ野洲へと帰った。

2004年11月27日

前へ  目次へ  次へ

トップへ
トップへ
戻る
戻る

http://tp240.web.fc2.com/
inserted by FC2 system