Viola Dream

2010 川崎ハーフマラソン

 2007年10月に四万十川ウルトラマラソンを完走し、その代償として痛めた右膝。あ
れから3年が過ぎ、練習で20km以上走っても痛みを感じることはなくなりました。膝に
負担のかからないフォームへの改造も順調に進んでおり、ちょっぴり自信がついてき
た今日この頃。川崎市の多摩川沿いを走る川崎ハーフマラソンは平坦なコースで膝
への負担も軽いと言うことで、参加を決めました。

 2010年3月14日(日)は、朝から快晴。風がやや強いものの、絶好のランニング日
和でした。2009年11月に走った彦根シティマラソンでの失敗を繰り返さないよう(第
23回 彦根シティマラソンのページを見てね!)、とにかく20kmまでは1kmを4分半で
走ると心に誓ってスタートラインに立ちました。正直、この時点では何も不安を感じて
いませんでした。気合の入ったランニングスーツ姿の参加者が多い中、普段練習に
使っているシューズにジャージ姿の私は、かなり浮き気味。目標タイムは96分。普段
の練習で走っているタイムと同じです。最後の1-2kmをペースアップできれば、95分
を切れるとも考えていました。

 10時にスタート。最初の2kmは9分15秒。ちょっと抑え過ぎたかなと思い、少しずつ
ペースを上げました。5kmを22分半で通過。順調です。実はこの日のハーフマラソン
を最後に、練習用のシューズを引退させようと考えていました。走行距離が2,000km
を超えており、踵が磨り減ってクッションも弱り切っていたためです。古いけれども、
ピカピカに磨いたシューズ。これまで私の練習を支えてくれた、大事な相棒。軽快に
走りながらも、驚いたのは走るコースです。アスファルト舗装路ではなく、堅く締まっ
た土道でした。砂利が多い上にシューズが古いせいか、少し滑るのが気になりま
す。

 8kmを過ぎた頃から、右膝がフワフワ揺れような感じ。右膝痛の兆候です。まさ
か? まだ10kmも走っていないのに…。気のせいに決まってる、すぐに治まる。とこ
ろが痛みは強くなる一方です。おまけに、左右のふくらはぎが攣り始めたではありま
せんか! そんな馬鹿な!! 10kmを45分で通過したものの、ペースを維持できた
のはここまで。ふくらはぎは一歩ごとに痙攣、右膝の痛みも増すばかり。目標の96分
どころか、100分を切ることも難しい状況。リタイア? そんな言葉が頭をかすめまし
た。

 『練習で走っている距離と変わらないから』と、ハーフマラソンをなめていたようで
す。今週は月曜、水曜、金曜に飲み会がありました。特に水曜は何も食べずに飲ん
だので、翌日はかなりひどい二日酔い。それに火曜の朝、不注意で右足親指の爪を
剥がすトラブルも。健康管理が不十分で体調を崩し、走るフォームまでおかしかった
のでしょう。引退の花道を飾るはずのシューズに、申し訳ない気持ちでいっぱいでし
た。

 母のことが頭に浮かびました。金曜の朝、父からの電話で、母の癌はもう抗がん剤
で抑えられなくなったとの報告を受けていました。癌が再発してからずっと、早く死に
たいと言う母に対して、私は『辛くても最後まで頑張って!』と諭し続けてきました。そ
れなのに、私はたかが足の痛みのために諦めるのか? 給水なしで走りきる予定で
したが、15kmの給水所で水をもらって気合を入れなおしました。100分を越えるのは
もう、仕方ない。最後まで全力を尽くすだけです。

 結局、1時間41分52秒(ほぼ102分)で完走。40歳代男子の部で79位(出走357
人)、総合順位は256位(出走1431人)でした。右膝が完治していないこと(年のせ
い?)、体調管理が悪いとフォームまで崩してしまうこと(当たり前?)を再認識させら
れました。もう一度、心と体を鍛えなおしです。練習用シューズに花道を飾ってやれ
ず、逆に私が教えられるといった結果になってしまいました。ありがとう、この教訓は
次に必ず生かすからね!


 これが参加賞のTシャツです。綿100%、普通のTシャツですね(中国製)。NJSFは
新日本スポーツ連盟(New Japan Sports Federation)のロゴのようです。

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